South-America

インカ帝国

インカ帝国(インカていこく、スペイン語:Imperio Inca、ケチュア語:タワンティン・スウユ(Tawantinsuyo, Tahuantinsuyo))は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が築いた帝国。文字を持たない社会そして文明であった。
首都はクスコ。世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」から、さらに千メートル程高い3,400mの標高にクスコがある。1983年12月9日、クスコの市街地は世界遺産となった。
前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで[1]約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていたことが遺跡および遺留品から判明している。
インカ帝国は、アンデス文明の系統における最後の先住民国家である。メキシコ・グアテマラのアステカ文明、マヤ文明と対比する南米の原アメリカの文明として、インカ文明と呼ばれることもある。その場合は、巨大な石の建築と精密な石の加工などの技術、土器や織物などの遺物、生業、インカ道路網を含めたすぐれた統治システムなどの面を評価しての呼称である。なお、インカ帝国の版図に含まれる地域にはインカ帝国の成立以前にも文明は存在し、プレ・インカと呼ばれている。

ケチュア語で、「タワンティン」とは、「4」を意味し、「スウユ」とは、州、地方、文脈によっては国を表す。訳すと「四つの邦」という意味である。
「四つの邦(スウユ)」とは、
クスコの北方の旧チムー王国領やエクアドルを含む北海岸地方のチンチャイ・スウユ(スペイン語版、英語版)(ケチュア語族: Chinchay Suyo、「北州」)
クスコの南側からチチカカ湖周辺、ボリビア、チリ、アルゼンチンの一部を含むコジャ・スウユ(スペイン語版、英語版)(ケチュア語族: Colla Suyo、「南州」) クスコの東側のアマゾン川へ向かって降るアンデス山脈東側斜面のアンティ・スウユ(スペイン語版、英語版)(ケチュア語族: Anti Suyo「東州」- アマゾンのジャングル)
クスコの西側へ広がる太平洋岸までの地域のクンティ・スウユ(スペイン語版、英語版)(ケチュア語族: Conti Suyo、「西州」)
の4つを指す。4つのスウユへは全てクスコから伸びる街道が通じており、インカの宇宙観に基づいて4つの区分を象徴するよう首都のクスコも設計されていた。
なお、インカとはケチュア語で王(ないし皇帝)を意味する言葉だった。スペイン人はこの言葉を初めはケチュア族をさす言葉として使われ、次第に国をさす言葉として発音および使うようになった。

考古学期 ・ アンデス文明

アンデス文明はおそらくBP約9,500年(約紀元前7500年)ころまでに始まったと考えられている。インカの祖先は、現在「プーナ」と呼ばれているペルーの高原地方を根拠に遊牧民族として暮らしていたと思われている。この地勢条件により、彼らの身体は低身長化、体型の頑健化という特徴をもって発達した。平均身長は、男性が1.57m、女性が1.45mであった。高地に適応するため、彼らは他地域の人々に比べ肺活量が30パーセントほど大きくなり、心拍数も少なく、血液の量も他地域の人々より多い2リットルとなり、ヘモグロビン量も2倍以上であったことが遺体から推測されている。
アンデスの研究者らは、約500年間にわたり偉大な国家権力の行政資本と儀式により栄えたチチカカ湖地方のティワナクをインカ帝国の最も重要なさきがけ(プレ・インカ)のひとつとして認識している[2]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD






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